テイエンはきっとまた三日坊主

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“Wake Up, Girls!”の見方 非ワグナーな私とは?

Wake Up, Girls!、通称WUGは、仙台を本拠地とするローカルアイドルユニット“Wake Up, Girls!”を描いたアニメ作品である。

この作品の特徴の一つとして、作中のWUGメンバーを演じる声優(いわゆる中の人)も、現実世界においてアイドル活動を行っているという点が挙げられる(これが良く言われるハイパーリンク

 

そのため、Wake Up, Girls!と言った場合

  • アニメ作品そのもの
  • アニメ作中のアイドルユニット
  • 現実世界で活動する声優7人によるユニット

という3つの意味があることになる。

このことがWUGというコンテンツを面白くしていると同時に、分かりづらくしていると思う…のだが、それはまた別の機会に。

 

このコンテンツは、人によって楽しみ方が大きく異なるのも特徴ではないかと思う。

上記のような特徴から、作品自体のストーリーやメッセージを楽しむ人だけでなく、声優ユニットのWUGを中心に応援している人も多数いる。

声優ユニットは応援しているが、WUGという作品は見たこともない、という人も一定数存在するようだ。

 

このコンテンツの楽しみ方は当然人それぞれなのだが、その一つとして、自分という人間をアニメ作中に放り込むというものがある。私のこのアニメの楽しみ方はメインとしてそれである。

恐らく多くのワグナーが一度はそんな見方をしたことがあるのではないかと思う。

この楽しみ方をする場合、自分をどの位置に置くか(視点をどこに配置するか)が一つキーになると考える。

 

 

・ワグナーという目線、大田という男

作中には「大田邦良」というキャラが出てくる。このキャラはWUGの最古参オタクなのだが、恐らくこのキャラは我々オタク共が自己投影しやすいように配置されているのではないか、と思っている(制作側の意図が違ったらゴメンなさい)

大田はもともと作中の大人気アイドルユニット”I-1club”のファンだったのだが、ある日地元仙台でI-1元メンバーの島田真夢が参加するWUGに出会う。

そこから彼はWUGを応援しはじめるのだが、世間は島田真夢に対して非常に冷たく、所属するWUGもさまざまな壁にぶつかる。

そんな状態にあっても、大田はネット上の誹謗中傷に対して「オレはWUGを信じる」と応じ、WUGをひたすらまっすぐに応援し続ける。

私は、大田というのは応援する側の理想を描いたキャラなのだと思う。

現に、作画崩壊も目立ったWUGにおいて、サブキャラたる大田は非常に熱の籠った描かれ方をしている。それだけこの物語において大切な男なのだ。

特徴として挙げられるのは、大田はWUGを自ら発見したということだ。

今ほどメジャーになる前のアニメWUGや二次元WUG、三次元WUGを発見して、それを推し始めた人にとって、まさに大田というキャラと重なるのではないか。

そのため、自分を大田というキャラに重ねやすい、というか重ねるために用意されたキャラなのではないかと思うのだ。

彼らは3つのWUGが逆境を超えて頑張る姿を「ワグナー」として応援してきたはずである。

 

 

・私の視点

一方で私テイエンの視点はずれている。私が根本的に天邪鬼であるということも要因の一つだ。

私の視点は、作品を見始めたときも、そして今も「I-1clubのファン」である。

何しろこの作品を見始めたきっかけが「I-1の声優が推しだらけ」なのだから、私にとっては自然な視点である。

この視点で作品を見るのは恐らく少数者だと思う。しかしよくよく考えてみると、この視点は作中においては多数派であると言える。

何せI-1clubは作中の大人気ユニットである。WUGに比べてそのファン数は何千倍、何万倍であろう。

作中世界で考えれば、WUGファンというのはかなりの特異者で、I-1ファンはそこらじゅうにいる普通の存在である。

 

 

作品を作中における一般的な目線で見るとより楽しめるのではないかと、この作品を見ているうちに思えてきた。

すなわち、WUGの置かれている立場をより(作中世界の)現実的に、かつ残酷に見ることができるのがI-1オタク視線なのだと思う。

まゆしぃに対する冷たい目、これはI-1オタクからすればある意味自然である。「スキャンダルで辞めた裏切り者」だからである。恐らく、多くの人はそう思っているはずである。

現実世界でも週刊誌報道を鵜呑みにしてレッテルを貼るなんてよくある話だ。

作品を素直に見れば、当然まゆしぃやWUGに対して同情的な目線になる。だからこそワグナーはWUGを応援できるわけだ。

しかしあえて残酷な目線で見ることで、よりまゆしぃ及びWUGがぶつかっている壁を(自らも壁になって)感じることができる。

その上で、TVアニメ12話のアイドルの祭典を見る、すると作中のあのI-1オタクと同じように、そこでWUGを認めることができる。

まあ実際にはその裏側を見てしまっているわけなので、そこまで全く感情移入しないというのは当然無理なんだけど…。

とにかく、そんな視点を持つことによって私はまた新たな作品の見方、楽しみ方を得ることができた。これはワグナーではできないこと、私がI-1側の人間だからこそできるものだ。

 

 

・舞台版「Wake Up, Girls!」を見て

自分のスタンスを確認できたのが、舞台「青葉の記録」だった。

この舞台作品ではWUG7人をそのまま声優の7人が演じたのが特徴だった。一方のI-1 clubはしほっち役の大坪由佳さんのみそのまましほっちを演じ、他の6人は新たな役者さんがそれぞれ演じた。

上述の通り、私のI-1好きも元はと言えば「声優さんが好きである」というところに由来している。

特に福原香織さん、それに津田美波さんや加藤英美里さん、安野希世乃さん…。FCがあれば入会する級の方々だ(諸事情によりえみりんFCには入ってないけど)

ただ、この方々は舞台には出ていない。この舞台の中の人だけで比べればWUGの方が好きということになる。つまりI-1に対する”中の人補正”がキャンセルされるわけだ。

この舞台を見てなお、私はI-1に感情移入した。特にしほっち…正直に言うとアニメ版ではしほっちにあまり感情移入できなかったのだが、この舞台では「しほっちのための作品じゃないか!」という位、一気に好きになった。

やっぱり私はI-1目線でWUGという作品を見る、I-1オタクなんだと再度確認できた。

  

「青葉の軌跡」でWUGちゃん達が仙台駅前でチラシを配るシーン。

見ている人ほぼ全員WUGちゃんに同情しただろう。

でも私は「I-1の映像見てるんだから静かにしろよ!!」という気持ちで見ていた(もちろんかなり意図的に…だが)

作中のI-1オタクがもし、あの映像を見るためだけに仙台に来ていて、流れるまでずーっと外で待っていたとしたら…。せっかく流れたと思ったら、目の前のわけのわからん連中のビラ配りで邪魔されたとしたら…。

そんなことを思ったら怒りが湧いてきたのだ。

 

・ まとめ

私はWUGというコンテンツは好きだが、「自分はワグナーである」とは一度も言ったことがないし、思ったこともない(作品を知らない人に説明する際、便宜上使ったことはあるが…)

確かにツアーは合計57回も見に行ったし、続劇場版はそれぞれ5~6回見に行った。舞台も合計8公演見ている。

それでもやはり作品を見るときの視点を「I-1 clubオタク」においている以上はワグナーを名乗ることはできないと思っている。

これはワグナーに対する敬意でもあるし、作中の自分の意地でもあると思っている。

 

もちろん「ワグナー」の定義は人それぞれだから、こいつワグナーだ!と思って頂いても構わない。むしろワグナーの方から認めて頂くのはありがたい話だ。

ただ聞かれれば「ワグナーではないです」と答えるだけである。